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今日は、宗教のお話しが入るので苦手な方はご寛恕ください。
 
もう読んだかたも多いのでは。
看護師が、6人の、口がきけなくなった高齢の入院患者のろっ骨を折った事件です。
動機は、職場の人間関係に悩んでとのことだそうです。
 
    * *
個人的には本来、ニュースというのは、
ある目的に向かうための方便として利用したいと思っています。
でも実際は、ゴシップを含めそれ自体が目的となって発展しないニュースが多々あります。
 
このニュースは、通常の、そう、たとえば社会をよくするためといった目的にむかって
考えるきっかけとしての情報=方便を越えて、辛い感情だけをもたらしました。
かわいそうとか怒りとか、同情とか悲しみとか、単一の言葉であらわせない感情です。
どちらの気持ちにも、ただただ共感します。
 
一方には不条理極まりない、改善されなければいけない環境があります。
また一方に、その人間性にかかわらずぜったいに傷つけてはいけない健康と尊厳があります。
 
私はストレスが内側に向かうタイプですが、
彼女のように外に向かうひとは共感を求めているのだと思います。
こんなこと、言いたくないけど、昔ならった心理学でいえば
無意識に、自分と同じ状態のひとをつくろうとして。
ほんとに涙がでます。
もしも、
つらいよね、とひとこと看護師に共感する人がおり、
彼女が、その共感を受け入れることができていれば、違っていたかもしれません。 
 
見ずしらずの人間に対するこうした想いと、その彼女がとった行為に対する想いは別です。
お年寄りとは、その存在とは尊敬されるものなのです。
その体はいたわるもの、感謝するものであり、やさしく触れるものなのです。
ひとは、ひとに、思いやりや愛情なしにふれちゃだめなのです。
身勝手を承知でいえば、ばーちゃん子の自分としては、
もしこれが自分のばーちゃんなら、今のこの、冷静になろうとする気持ちなんてなかったと思います。
 
 
    * *
ニュースを読んだあと久しぶりに祈りました。
クリスチャンとはいえ、教会に行かなくなって久しいからか、
神さま、としか言葉がありませんでした。
 
感情のやり場がなくて、聖書のヨブ記を読みました。
ヨブはとても親切で優しくていい人なのに、信頼していた神さまに不条理に苦しめられます。
 
「あなた(ヨブ)の言葉は倒れる人を起こし、
くずおれる膝に力を与えたものだった。
だが、あなた自身の身に何事かがふりかかるとあなたは弱ってしまう。
それがあなたの身に及ぶと、おびえる。」
 
ヨブは最初頑張ってたけど
「もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない。
ほうっておいてください。
わたしの一生は空しいのです。」
と言います。
 
「絶望しているものにこそ、友は忠実であるべきだ」
お金も健康も愛もなくしても、人望あついヨブには最後の砦の友達がいて、あーだこーだ言います。
でもヨブはいっぱいいっぱいで、あーだこーだ言い返して耳を貸しません。
 
いろいろあって、最後には、
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
となります。
 
最初から最後まで何かが解決したり、ヨブが成長したりするわけではないお話しです。
「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」
ここから始まってここで終わり、途中でたくさんの逡巡と悩みがあるだけです。
 
こうした過程を読むことで辛い時でも信仰を保つ、がこの文書に対するマニュッシュな姿勢かもしれませんが
ほんとにつらくて仕方がない人が、ヨブにちょっとだけ「共感」して
ちょっとだけ楽になる、そのための文書であってもいいのではと思います。
 
この事件を知った私が冷静になり、
何らかの形で社会への還元をおこなうことができるのはかなり先になると思います。
今はただ、書とめて、記録して、消化します。
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生きていれば当たり前のことかもしれませんが、
どんな仕事でもそういう瞬間はあるのかもしれませんが、
仕事をしていると、ときに他人のむきだしの人生に触れることがあります。
 
がん、という病気があります。
乳がんなどで手術をして、リンパ腺をとると働きが悪くなり、
残ったリンパ腺がはれてしまうことがあります。
片側だけの足や腕が、2倍にも3倍にもなります。
http://www.asinotiryouin.com/lympha/effec.html
 
仕事で今日、そのリンパ浮腫になった乳がんの患者さんの声をききました。
「乳房を切除したうえにさらに腕がむくんで家事ができなくなってしまった
こんな自分は妻として役立たずで人間としてかたわです」
 
どんな生活を送ってきたか、とかどんな性格のひとか、とかそういうことは関係なく、
人が、がんを生きているだけで素晴らしいことであるはずのひとりの人が、こんなつらい心のままでいいのでしょうか。
ただただ、涙が出ます。
 
以前、ある看護婦さんが怒っていいました。
「がんという病気を、医療現場では体験ということがあります。がん体験、と。
がんは体験ですか?違います。患者さんにとってはがんはその人の人生そのものなんです」
 
そうなんです。
手術がそのとき終わっても、術後5年、生存したからということで
「成功した患者さん」として病院では分類されてしまっても
その人の人生はつづきます。
 
…実際の私は、私の書く文章ほどに純粋にはなれません。
医者の冷めた目線、たとえば、
「できないオーベンのせいでこの前急患が死んじゃってさ。
当直の○○はほんとに迷惑かけられてたよ」
なんていう言葉を聞いても、これだけ生と死が毎日繰り返されていたら、
なにかを鈍磨させておかないと仕方がないのかもしれない、
こんな風にどこかが少し壊れた発言をして、割り切っていかないと仕方がないのかもしれない
と考える自分がいます。
 
でもその一方で、やはり涙がでるのです。
怒りとも悲しみともちがう感情で涙が出ます。
こういうところが、私が文学に向いていない理由だと思います。
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プロフィール
HN:
ONSA
年齢:
44
性別:
非公開
誕生日:
1980/07/11
職業:
会社員
自己紹介:
冬も緑の葉っぱがしげる、東京都内の街路樹のしたを走る通勤模様を中心に、
自転車に関するヨシナシゴトを書いています。

たまに無謀なロングライドを試みては返り討ちにあっています。



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・読書、音楽、映画、プラネタリウム
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ことなどが好きなので、そういう話もできたらと思います。
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