-love on the bike-
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
夏の宿題ということで短文を書きました。
フィクション嫌いな方はお見逃しくださいませ。
* * * * *
二人がつきあうなんて、僕は反対だったんだ。
アドマイア大統領は、ハーバルシティの表通りをコーヒージェリー・スプーマ片手に逍遥して休日をすごすのが好きなタイプだし、かたやフラワーさんはノーレス・ナチュラルボーン・ウェンチ。日曜日の昼下がりは純白の花弁に見事なプラム色をした唇、鮮やかなタンジェリンのひげをたなびかせて泥まみれのふくよかな足を牛になめさせるのがお気に入りなんだからね。
牛なんて、アドマイア大統領にとってはやわらかなピンクになめされたカーフの財布くらいの意味しかもたない。
そんな二人が出会って世界は変わってしまった。
あらゆる時計は正確な時間をしめさなくなった。チョウシンとタンシンはべっこう飴のようにからみあいウェストハイランドを目指して伸びはじめた。ビョウシンは儚くほろほろとくずおれた。
くずれたビョウシンには針の形がなくなるまで、大きなあごをもった熱帯の蟻がたかった。今では白いプラスチックの鳩時計の鳩だけが日に数回、ねむたげなささやき声をあげる。
クルック。
鳩の声がささやくたびに二人はULYSISS邸で食事をとる。フラワーさんはアドマイア大統領さえいれば幸せ。テーブルセッティングなど気にかけないが、アドマイア大統領は食事のたびにテーブルライナーをとりかえ、銀の7本枝のしょく台に火を灯す。
日本のYUJOの帯から仕立てた今日のライナーは銀糸で縫いとられたからくれないのみづくくる紅葉のダマスク。銀の食器を並べて、塩漬け豚やくたくたに煮込んだインゲン豆、卵とトマトのサラダ、タラゴンの葉を散らしたエスカベッシュなんかをたべる。
食前には指ぬきほどのおもちゃのグラスで透き通った緑のアップサント、食後には同じグラスでとろりと濃緑ににごったミント・リキュールを飲む。
それからアドマイア大統領は感嘆し、うっとりとながめ、いま食べたばかりの白身魚のほのかな生臭さの残る唇でフラワーさんの弁端にキスをする。
アドマイア大統領が目を細めると、フラワーさんはどうなりと、とアイリスのような色香でこたえる。
そしてまた、時計のチョウシンとタンシンはからみあいながら伸び世界はすこしずつ崩れていく。
僕はいつも二人を見ていた。アドマイア大統領は決して自分のことを話さない。フラワーさんはいつも何かをしゃべっているが本当は何もしゃべっていない。二人は世界の対極。ひかれあって当然だけれど、離れていなければ世界が変容してしまう。小さな世界。僕の世界。
PR
人にはさまざまなコンプレックスがあります。
私のいちばん大きなコンプレックスは「愛されなかったコンプレックス」です。
これが理由で、ともすると仕事の動機を履き違えます。
自己承認欲求で仕事をしているときがあるのです。
また、今の私にはまもるものがないので、
安らぎのために仕事をするというより、
安らぎのために仕事をするというより、
安らぎよりすぐれたものがあると思っていないと、がんばるのがつらい時があります。
でもそれは、誰かのために生きる人生をあきらめることではないと
先日、既婚の職場の先輩と話していてわかりました。
それに、まもりまもられる家族はいませんが、私は自分の仕事が人のためになると信じています。
病気をもつ人と、病気の人のために苦しむ人のためになると本気で信じて
ありふれた言葉同士の結びつきが、光を放つ瞬間を探しています。
この秋は一冊も通して本を読めていません。
昔の本の話をしようと思います。
ちくま文庫の須賀敦子全集、この第7巻に「こうちゃん」はあります。
* * *
(前略)
そして 南のくにの このあたたかい町にも、 とうとう 冬がやってきました。 ある夜、もう腰のよれよれにまがったおばあさんでもおもいだせぬほど 何十年ぶりかで 雪が降りました。
つぎの朝、のぼったばかりの太陽が いちめんきらきらと ひかる電車道を みかんの汁のいろにてらしている、まだ人どおりのない道の並木に、だれか ちいさなこどもが ひとり もたれかかって このふしぎなけしきに ただ じっと みとれているのです。 ちかよって そっと うしろから
「ゆき、すき?」
ときくと、その子は ほんとうに どきっとしたようで 両の頬を たちまち もえるように あかくしたかとおもうと 木の幹に ぴったりと 顔をかくしてしまいました。
あゝこうちゃん ごめんなさい。 ほんとうに うつくしいものを みていて、 ひとにはなしかけられたときの あの かなしいような はづかしいようなきもちを わたしだって よく知っているはづだったのですもの。
つぎの朝、のぼったばかりの太陽が いちめんきらきらと ひかる電車道を みかんの汁のいろにてらしている、まだ人どおりのない道の並木に、だれか ちいさなこどもが ひとり もたれかかって このふしぎなけしきに ただ じっと みとれているのです。 ちかよって そっと うしろから
「ゆき、すき?」
ときくと、その子は ほんとうに どきっとしたようで 両の頬を たちまち もえるように あかくしたかとおもうと 木の幹に ぴったりと 顔をかくしてしまいました。
あゝこうちゃん ごめんなさい。 ほんとうに うつくしいものを みていて、 ひとにはなしかけられたときの あの かなしいような はづかしいようなきもちを わたしだって よく知っているはづだったのですもの。
(中略)
山に行って、春りんどうのいつも咲く場所が おもいだせなかったら ちいさく こうちゃんを よんでごらんなさい。息もつかずに駈けてきて、そっとおしえてくれるでしょう。
ながいこと待ってた 手紙がやっとついたら、封をきるとき ちょっと よこをみてごらんなさい。 いっしょうけんめいせのびして いっしょに読もうとしている子が こうちゃんです。 ─わかりもしないくせに─。
庭さきの椿の あかい花が ぽとりと落ちたら、みないふりして待ってごらんなさい。誰にもみられていないつもりの こうちゃんがうたいながらやってきて、そっと あかい花をひろいあげると、また大いばりで 行ってしまうでしょう。
(後略)
山に行って、春りんどうのいつも咲く場所が おもいだせなかったら ちいさく こうちゃんを よんでごらんなさい。息もつかずに駈けてきて、そっとおしえてくれるでしょう。
ながいこと待ってた 手紙がやっとついたら、封をきるとき ちょっと よこをみてごらんなさい。 いっしょうけんめいせのびして いっしょに読もうとしている子が こうちゃんです。 ─わかりもしないくせに─。
庭さきの椿の あかい花が ぽとりと落ちたら、みないふりして待ってごらんなさい。誰にもみられていないつもりの こうちゃんがうたいながらやってきて、そっと あかい花をひろいあげると、また大いばりで 行ってしまうでしょう。
(後略)
* * *
この詩にみられる「明るく静か」なイメージが私はたいへん好きです。
「こうちゃん」の言葉は鳥のさえずりと同じです。
鳥がもし「なぜ歌うのか、自分の歌にはどんな意味があるのか」と考えたらきっと歌えなくなるのと同じで、
そしていつも、これらを考えてしまう自分はただただ、この言葉に聞き入るばかりです。
世にある書籍は数知れず、そのほとんどは読んだ人が多弁になりたがるものですが、
(「起こっていることは皆いいことだ、と思うようにしなさい」とか、
売れ筋ランキング3位「誰とでも15分以上会話が途切れない66のルール」とか)
たまにはこのような、読むと静かに満たされる作品があってもよいと思います。
先日の続きです。
物事は言葉にするたび純化されていくと書きました。
ひとは、どのようにして言葉を書くのでしょうか。
緻密な思考も目をむくような発想力もない自分は
カメラ・オブスキュラとか雅歌とか光といったつまらないオマージュをつなぎ合わせて時をやり過ごしています。
偉人が残した名句ばかりでもアフォリズムだけでできた本は読んでいるうち飽きてくるのと同じで、
まるっきり生きていないようでそのうちいや気がさしてきます。
いや気がさしてくると、流れに杭を突き立てます。
引っかかったものを、丁寧にしわを伸ばすように広げていきます。
自分からは少し遠くにあった曖昧なものなので
引っかかったものを、丁寧にしわを伸ばすように広げていきます。
自分からは少し遠くにあった曖昧なものなので
デッサンを繰り返すように、何度も書きます。
書いてはけし、書いてはけして、太い線が浮きあがるまで続けます。
大抵そのとき、一人称がこなごなになるまで崩します。
できあがったもののほとんどは、行間でしかありません。
書いてはけし、書いてはけして、太い線が浮きあがるまで続けます。
大抵そのとき、一人称がこなごなになるまで崩します。
できあがったもののほとんどは、行間でしかありません。
実際に今を生きる私とは似ても似つかない純粋なもの、規定するものになります。
それでも私は、いつ裏切られるかわからない緊張感も含め、言葉の不確実性を愛しています。
しばしば、ロダンの言葉が思われます。
* * *
芸術において醜いこと、
それは
まがいもの、作為的なもの、
表現が伴わずに小ぎれいさや美しさを装うもの、
気取ったわざとらしいもの、
意味もなく笑うもの、
理由もなく恰好をつけたもの、
原因もなく形をねじまげこわすもの、
魂と真実とを欠く一切のもの、
美しさや、優雅さを誇示するにすぎないすべてのもの、
嘘をつく一切のもののことだ
* * *
こんな風に生きたい、というのではありません。むりむり。
人生は芸術ではないので、こんな風には生きられません。
まともに目を見れないままに嘘ばっかりつくし、照れ笑いもすれば、カッコつけたり気取ったりもします。
ただ言葉、自分が発する言葉にはこうあってほしいと思います。
たいへんな時ほど自分を大事にしなきゃダメ、といわれました。
西洋の文学者はみな、神という概念の周りを回る千の星、という文章を読みました。
「あたしのすきなね、あたしそれきらいなの、あたしいただくわ」と子供のようにしゃべってばかりの自分と違って大人だからなのか、露出が苦手なのかわかりませんが会話をしていて一度も俺は、とか僕が、と一人称を使うのを聞いたことがなかったひとが先日、あ、俺、と何かを言いかけました。
私はこうして、ことばをひとつひとつ、書き出していきます。書き出しながらもう一度その時を生きる、文章を書くということはある人生のある時をre-lightする作業ではないでしょうか。書きなおす(write)のではなく、もういちど光を当てる(light)。もういちど、またいちど。
そして光を当てるたび、思い出は純化されていきます。
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
カテゴリー
フリーエリア
最新記事
(10/13)
(09/02)
(09/02)
(08/23)
(08/19)
最新TB
プロフィール
HN:
ONSA
年齢:
44
性別:
非公開
誕生日:
1980/07/11
職業:
会社員
自己紹介:
冬も緑の葉っぱがしげる、東京都内の街路樹のしたを走る通勤模様を中心に、
自転車に関するヨシナシゴトを書いています。
たまに無謀なロングライドを試みては返り討ちにあっています。
※ ↑ ココマデ自転車 ↑ ※
そのほか 、
・読書、音楽、映画、プラネタリウム
・絵や彫刻を見る。
・海とか河とかお寺にぶらっと行く。
・自然の中でしんとしていること。
・骨董やアンティーク家具。
・家具屋さん、雑貨屋さん、文房具やさんに行く。
・ごはんやお菓子を作ったり小さい編み物をしたりする。
・カフェを探す。
・道に迷う。
・なごなごする。
ことなどが好きなので、そういう話もできたらと思います。
自転車を愛するすべての人と、それからそのほかすべての皆さん、どうぞ仲良くしてください。
自転車に関するヨシナシゴトを書いています。
たまに無謀なロングライドを試みては返り討ちにあっています。
※ ↑ ココマデ自転車 ↑ ※
そのほか 、
・読書、音楽、映画、プラネタリウム
・絵や彫刻を見る。
・海とか河とかお寺にぶらっと行く。
・自然の中でしんとしていること。
・骨董やアンティーク家具。
・家具屋さん、雑貨屋さん、文房具やさんに行く。
・ごはんやお菓子を作ったり小さい編み物をしたりする。
・カフェを探す。
・道に迷う。
・なごなごする。
ことなどが好きなので、そういう話もできたらと思います。
自転車を愛するすべての人と、それからそのほかすべての皆さん、どうぞ仲良くしてください。
ブログ内検索
P R
アクセス解析
アクセス解析